たまにメールが来ては、
レポートか!?並みの文字量を送りつけてくる友人(推定40歳)がいます。
彼が熱く綴った内容を読んで、
ある対談のフレーズを思い出したので、
あなたのように
「自戒を込めて」
引用させていただきます。
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『Sports Graphics Number ベストセレクションⅢ』(文藝春秋刊)
特別対談「スポーツを書くということ」後藤正治×沢木耕太郎 より
沢木:
僕が近頃危惧しているのは、ある世界のことを知っちゃっていると思いこむことの危険性なんですよ。
(中略)
ある一部分を知っているに過ぎないにもかかわらず、すべて理解できている、その世界を全部批評できると勘違いしてしまう人もいる。150㎞のボールを投げる人に対する畏れなんてどんどん稀薄になってしまう。
本来なら、ある試合を観たときに、彼がどうしてあんなプレイができたのか、どうしてあんなプレイをしてしまったのか、分かったつもりでいても、最後の最後のところでかすかな疑問が残るのが普通ですよね。
それを自分は全部分かっているんだと考えてしまうと、それから先に広がっているはずの新鮮な領域にぶち当たることがなくなってしまうんじゃないかと思う。
後藤:
われわれのやっていることは何なのかと考えると、要するに、自身が見たもの、耳にしたこと、感じたことを言葉で表現するということですね。しかも言葉を通して本質に迫りたいと。
うまく言葉に置き換えられるときとそうでないときがあるんですが、
これまで自分が感じたことを完璧に言葉に移し換えることができたと思えたことは一度もないですね。
(中略)
だから、まだ見切れていない、感じ切れていないと思うことからくる畏れはずっと持ってきましたね。
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この人って、頭いいんだなぁ
と改めて(今更?)思ったメール。
考える機会をありがとうございました。