http://news.stanford.edu/news/2005/june15/jobs-061505.html
いまさら?
という声が聞こえようと、
いまさら
何度でも。
・
「わたしはもっと
心に正直に生きたい」
と呟いたら、
「え? これ以上?」
と後輩に突っ込まれました。
おやすみなさい。
http://news.stanford.edu/news/2005/june15/jobs-061505.html
いまさら?
という声が聞こえようと、
いまさら
何度でも。
・
「わたしはもっと
心に正直に生きたい」
と呟いたら、
「え? これ以上?」
と後輩に突っ込まれました。
おやすみなさい。
もう、
コントロールがまったく出来なくなってきた。
この出来なさは破壊的。
鎮火するはずが
むしろ日々ちょっと間違った方向に発火を続けている気がする。
「君のコミュニケーションは
関係をぶち壊すことを前提としている」
とは父の言葉。
怒りという感情でしか
愛情を確認できないなんて
なんて歪んだ関係だろうと思う。
・ ・
とまあ、
そんな時限爆弾みたいな感情を抱えつつ。
映画『モテキ』を観た。
この邦画、最高です。
元気がないときには是非見て下さい。
長澤まさみの可愛さは半端なく、
体育座りしての「涙」に恐ろしく共感する女性
けっこう多いんじゃないかと思います。
あの、寂しさを紛らわすべく
あらゆる男に愛想がいい感じとか、
でも全然満たされていないところとか。
思わずもらい泣きするかと思ったZe。
日本のサブカルがぎゅっと詰まったリアル感が
とても面白い作品でした。
日本映画でしか出せない世界観だし、
こういうノーカテゴリーのめちゃくちゃな感じが邦画の良さだよなあとしみじみ。
ぶっ飛んだ映画に出会えて、気分爽快。さらさらさらー。
ちなみに、
バックダンサーで0.3秒くらい私が登場しますが、
全然、分かりません。
気づいた人、すごいと思う。
バックダンサーって
リハーサルから本番の数回のテイクからやたら体力酷使するのに
儚い仕事だよなーと、改めて。
10年前、
音楽が大好きだった当時の恋人が、
「あらゆる曲が無限に集約できるチップがあって、
そのチップを体に埋め込めたらいいのに」
と言った。
「そうしたら、
海に来た時は海で聴きたい曲が聴けて、
夕焼けがキレイだったら、その景色に合う曲が聴けて、
何の制約もなく、好きなときに好きな曲が聴けるのに。
そんな世界って素敵だと思わない?」
・
そして、
その年の冬に、
iPodが発売になった。
アナログな私は、
iPod miniあたりから使い始めたので、
その存在の凄さに気付いたときは
恋人と別れて数年経っていたけれど、
iPod miniで
好きな曲を好きなときに聴いていたときに
ふと思った。
「これで、
彼が理想としていた世界が
現実のものになったじゃないか!」
と。
・
iPodの思い出、
数知れず。
いまでは、
欠かせない仕事道具。
世界を
変えた人でしたね。
そして、世界中の人がそうしているでしょうが、
スタンフォード大学でのスピーチを
改めて聴こうと思います。
ご冥福をお祈りいたします。
10月到来。
あと3カ月で2011が終わるということである。
あぁ。
2011という年を
私は生涯忘れないであろう
などとミスチルの365日を聞きながら
思いふけっている。
まだあと3カ月残っているのに。
神宮ナイターは肌寒く、
それだけでなんかしんみりするものです。
優勝争いは大変熱く、一戦必勝なのではあるけれど、
物理的に寒いというミスマッチ感を何ともうまく処理できない。
スポーツ観戦は、
「あちー」と文句を言いながら観るに限るものだなと
改めて思う。
・
久しぶりの駅に降り立ち、
某総合病院へ向かう。
退院間近の、すごぶる元気な(元気を持て余している)母に会いに。
この病院は、自分も10年前に入院していたところで、
すごくあたたかい思い出が蘇る。
症状にもよるけれど、
女性の大人数部屋というものは活気があるものである。
数日しか入院していないのに、
同部屋の「入院仲間」の病状や経過はもちろん、
仕事や家族構成まで知っていて、
もはや何かのサークルか? くらいの様相である。
おばちゃんの会話力の高さには驚いてしまう。
私が入院していたのは特に「婦人科」だったため、
いる人は全員「女しかならない病気やその他」を抱え、
その“見えない絆”パワーはすごかった(ように記憶している)。
「もう私なんて○○で大変よー。あんたなんて大丈夫よ!」
「あらそーぉー? あ、私、検査結果聞いてくる時間だわ!」
みたいな、根拠なき励まし合いと明るさに
大変救われたのである。
10年ぶりに同じ病棟に来て、
「ああ、あの入院の日々は楽しかったなー」としみじみ思い出す。
居心地のよい病院って、
素敵ですね。
友人が、妊娠しました。
厳密には、久しぶりに会ったら、妊娠をしていました。
「友人」というよりも「心友」という感覚の方が私には近くて、
とても大切な女性で、
感受性を垂れ流しにしていた学生時代を
ともに騒がしく、愛情深く過ごした
かわいくて優しくて天使のような女の子。
その子がもうすぐ母になる事実に、
私は、ものすごい衝撃を受けてしまいました。
男の友人が「パパになる」とはまったく違う、
彼女が「何か圧倒的に違うフェーズにいる」ような感覚に
寂しさを覚えてしまったのかもしれません。
青春なんてものは、もうとっくに過ぎ去っているのかもしれないけれど、
彼女とバカみたいに悩みを話しこんで、海外旅行先のカフェで好きな音楽を聞いて、
恋バナばっかりしていた毎日が、
しゅるるるーと過去の箱におさまっていくような感覚がしたのです。
その切なさみたいなものが、
いまだ感じたことのない感情となって自分を覆っていて
わたしにとって、
彼女がすごく大きな存在だったことに
改めて、気づきました。
心のどこか大切な部分を心のままに共有してきた数少ない人だったのだ! って。
・
最近、
ママになっていく人が本当に多くて、
この世界に新しい命を生み出そうとする
その偉大なことに、くらくらしてしまっている。
まったく誇張しているつもりがなく、
キセキだな、と思う。
なんだか、
祝福している感がまったくないような文になっているかもしれないけど
決してそうではないのです。
・
涙が出てくるような出来事でした。
彼女の子どもに会ったら、
わたしはその子にすごい愛情を抱くんだろうな、と
お気楽かもしれないけれど、
そう
心から思ったのでした。
うるさい子どもたちを整列させていたら、
1時間のレッスンが終わった。
「はい、前向いて」
「立ちなさい」
「聞きなさい」
「静かにしなさい」
この時間、整列する時間じゃなくて
踊る時間なはずなんだけどな。
でもさ、4歳に踊れったって無理なんだよな。
ぶつぶつ。
レッスン終わって、やれやれ、と廊下に出ると、
凹凸のない廊下に
べたっと倒れた女の子が一人。
鼻血を出してぎゃん泣きしている。
凹凸ない地を、顔からこけたのか?
なぜだ?
とても滑稽である。
その子は、鼻血を出している姿を先生に見られたくないから
起き上がろうとしてくれない。
気持ちは分かるんだけど、
廊下が血だらけになっちゃうからさ、
この際、恥じらいよりも、施設を配慮してくれよ、起きてくれよ。
とか何とかしているうちに、ママ登場して、
よかったわーと思って仕事終了。
1時間で吸い取られるエネルギー量、パなし、ですよ。
子育てって、なんだか凄まじそうですね。
・
そして
嬉しいことに。
すんごく久しぶりに、
近日パパになったイケダディからメールが届く。
「というわけで」
というラブホテルは、京都の四条大橋と五条の間にあるんだよ
と教えてくれました。
「ほな、というわけで、…的な?」
という感じに、
のほほんと(?)入るんだそうで
さすが、
実体験に基づく会話には
リアリティがあってよかですね
君のメールに、
ロマンティック韓国を思い出しました。
リマインド・コーリア。ある日、とことこと不動産やさんにいくと、
その店一押しらしい
いろんな図面を見せられて
「さあ、どれがいいですか」
とぐいぐいと詰め寄られた。
なんていうか、
どれもこれも、
心に響く図面がない。
でも、その不動産やさんは、
もじもじしている私に
さらにぐいぐいときて、
「何がだめなんですか? この物件の、何がだめか言ってください!」
と言った。
・
なにがだめか、とか、
なにがいやか、とかって、
うまく言葉にはできないけれど、
なんだかいや、
ということって
この世界にたんとたくさんあると思いませんか。
わたしの場合、
その言語化スピードが恐ろしく遅いために、
いままで数々の人たちの
苛立ちポイントをあげてきたと思うのだけど、
ぐいぐいと
詰められて
なにも言えない
という図にまたしても陥り
しょぼりん
としておうちに帰りました。
・
次の日、
また違う不動産やさんにいくと、
もじもじしている私に
「では、ひとつひとつ条件を決めていきましょう」
と、○×シートみたいな「条件シート」を一緒に見せてくれながら、
頭の中のくちゃくちゃの糸を少しずつほどいていくように
会話を進めていったくれた。
パートナーって、
大事だなぁ。
とすごく思った。
翌日、仕事で心理カウンセラーの取材にいくと
「君は、視覚情報よりも聴覚からの言語情報を重視するから、
君にとって付き合いやすい人は、言葉で丁寧に説明してくれる人」
と言われて大変納得する。
・
どうでもいいけど、村上春樹さんのエッセイによると
「というわけで」
という名前のラブホテルが実在するらしい。
小洒落ていますね。
自己啓発本の類はあまり好きじゃないし、
コンサルティングとか
マネジメントという
カタカナにはあまりいい印象を抱いていない。
事業についての無知からくるものだろうけれど、
なんとなく感じさせるその「実体のなさ」が、
あまり気持ちよくないからだ。
・
だから本日、
大豪邸に住む大富豪の取材に、
これほど心揺さぶられることになろうとは
想像だにしていなかったのです。
でもなぜ!
昨日ではなく今日なんだ、と心がざわついたけれど、
時、すでに遅し。
編集者は
取材中に個人的な相談までし始めるし、
不思議な空気の漂う1時間。
そしてさらに、
お土産に持たされた一冊*に、
これまた衝撃が走り
「なんだって
今日、この本を読むことになっているんだ」
と家の廊下に立ちつくす。
きっと、いまの、
「昨日の今日」というタイミングで
この本を読むことに
何らかの意味があるのだろうとさえ思い始める始末。
なんかバカみたいな運命論者的発想だけど、
そう思ったのだから仕方ない。
そして私は、
「よし、住む家を変えるべきなんだ」
と、
はっきりと、直感的に、そう思ったのでした。
**
『ユダヤ人大富豪の教え ふたたびアメリカへ篇』
(本田健著、大和書房)
単独飛行だったのは、たった1カ月前のこと。
一気に、のまれていく。
ああ。
取材した選手がその日に打たれたり、
打てなかったりすると、
150%関係ないだろうけど、
変なこと言って心を乱してしまったのかも知れない
などとおこがましいことを考えてしまう。
お前なんて関係ねーよ、と怒られるだろうけど。
台風で、試合がお休みになって、悪い流れをざざざーんと流してくれますように。
…なんて、真面目に願うようになる。
だって、だって、ここの監督、本当に素敵な人なんだもん。
・
最近、
仕事の関係上、
「20代ですべき○○のこと」的、自己啓発本を資料として読み漁っております。
20代で貯金はこうしろ、とか、
20代の投資はどうした、とか
20代で仕事はああしろ、とか、
20代で恋愛はどうしろ、とか、
20代で趣味を何とかしろ、だとか、
とにかく20代のうちにやっておくべきこととは、
この世界にいっぱいあるらしい。
20代のうちにしかこれはできません!
いますぐ行動するのみ、さあ、やるのだー!!
とか断言されちゃうと、
それを8年間やってなかった私って、
30代以降はもうダメ人間、みたいな
妙な焦りを感じてしまう。
うーん。
だから嫌なんだよ、この手の本は。
(だから、30代ですべき○○、という本がまた売れるのだろう)
そんなわけで、
あんまり仕事にならずに
「やばい、やばい」と椅子の上でうずうずしてばかりなのだ。
(あれ? つまり著者の思うツボか?)
来週から、
20代の○○本においては超有名人たちへの、
取材が始まります。
楽しみだぅ。
べったり“普通に”読んでいないで、
はやく、資料として距離感を持ちましょう。
それでは。
恵比寿の街に降り立ちます。
健在だね、と
なんとなくお互いに押し付け合い
バーテンの目配せに
なんとなく意図を感じます。
取材見学(覗き?)の申し入れは、
鮮やかに断られました。
当たり前だけど、いと残念。
きっと、
いつか。
・
夜のニュース番組(某局)を見ていると、
トップアイドルグループの一人が
真面目にニュースを読んでいる。
例えば、
ソマリアの大飢饉について
その深刻すぎる内容を
とても分かりやすい図解を添えて
数分にまとめた
とても分かりやすいプレゼンテーション。
しかし。
違和感をどうしても拭えない。
その数時間前に、バラエティに出演している人物が、
その前日に歌って踊っている男が、
キャスターをやっていることへの違和感。
すごく才能のある人だと思うし、
大変分かりやすいのではありますが、
偽善的な色がどんどん濃厚になっていく気がするのは
決して私だけではないはず。
・ ・ ・
言葉の天才・藤原さんの
この内容。
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=A00781
解釈は、いかようにも。